もう何日かは過ぎてしまったが、ここはやはり第二次世界大戦の敗戦記念日に際して振り返りたいことがある。
誰かは忘れたけど、この下の2つの句が太平洋戦争下の日本をよく描写していると述べた人がいて、大いに肯いたものだった。
──戦争が廊下の奥に立ってゐた 渡邉白泉
彼が 小学校まえの子供の頃、戦争はすでに茶の間にずいっ!と入ってきて一緒にお茶漬けを食べていた。 そして今、厠に行こうとしたら廊下の奥に戦争がのっそりと佇んでいる。
この句が詠まれたのは1939年で、まだ「日中戦争」の最中でそれほど多くの人が「第二次世界大戦」にまで拡大するとは考えていなかった時期だ。
だが、この句には白泉の〝気づかないうちに大規模戦争になる〟という「警戒感」と回避できない「無力感」の両方が伝わってくる。
この句によって白泉は「特高」に捕まり、牢屋に入れられている。
re:渡邉白泉:1913年〜1969年。東京出身の俳人。無季派。
──海に出て木枯らし帰るところなし 山口誓子
この句は白泉のものより5年後の1944年に発表した句。その1944年は第二次世界大戦の最中で、日本の敗戦の可能性も感じられる時期でもあった。
当時43歳だった誓子は自身の療養と疎開を兼ねて伊勢湾近くに住んでいて、そこから片道切符で海へ出て敵の艦隊に突っ込んでいく若人たちを、直接的な表現を避けながら詠んだと敗戦後語っている。
re: 山口 誓子1901年〜1994年。京都出身の俳人。
上記の 渡邉白泉はさらに……二句を。
──銃後といふ不思議な町を丘でみた
──玉音を理解せし者前に出よ
彼はこれら三句で戦前、戦中、戦後というものを駆け抜けて行った。 大変な才能そして気骨……その両方を感じる。
結局、この太平洋戦争で310万人の同胞が戦死し、そのうち60%が餓死という惨さである。それでも、この戦争の正当性を言い立てる輩がずっと再生産される。
そして、……
例えば、この「少年特攻隊員」の写真。まだ幼い面影を残す16~17才の少年たちが、子犬と親しんでいる。
この写真の2時間後に「特攻」で出撃し全員未帰還となった。
正しく、「帰るろころなし」。
戦局が悪化し、軍部は戦闘機に爆弾を装着し体当たりするという、狂気の沙汰としか言いようのない作戦を敢行した。
「祖国を守る」という大義の下、数千人の未来ある若者が、覚醒剤を飲まされて敵艦に突っ込んでいった。
彼らの余りに短い青春に対して、どういう〝正統性〟を用意しているのか?
今なお……廊下を通せんぼするように「戦争」がゆらりと佇んでいる。
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