■今朝7時くらいからの「clubhouse」を聞いた。こんな朝早くは珍しいのだが。
アメリカをベースにした人たちのルームで「9/11を忘れない」であった。2001年のことだったからもう20年も経っている……。
そのなかで、NYCのMimiYamazakiさんの語り。ときどき涙で声をかすれさせながら。
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トレードセンターへの航空機突っ込み、火災、崩落……というプロセスになったのだが、それは彼女がバスに乗っていたときに起きたらしい。
NYC中が浮足立ちパニックに陥ったのだが、それはバスの中も同じで、〝すぐに降ろせ〟と怒鳴る者、体の弱い者を焦って突き飛ばす者とかでパニックだったという。
そのとき、黒人女性のグループが〝主は我らを救い給う〟のようなゴスペルを朗々と歌い始めて、そのことでようやくバスのなかは平静を取り戻した。Mimiさんの動揺もようやく鎮まったという。
それでも、バスは「グランド・セントラル・ステーション」で運行中止になり、降ろされた。当然電車も地下鉄も運行停止になっており、頭から灰塵を被り真っ白になった人が混じっているなかを、「セントラル・パーク」を横切って相当の距離を自宅まで歩くことになったという。その時、見上げた抜けるような真っ青な空──トレード・センターからのキノコ雲のような黒煙を裏切って──を一生忘れないと付け加えた。
911の話や画像、映像は随分観てきたが、このセッションでのMimiYamazakiさんの話で耳に新しかったのは「臭い」のことだ。あれだけの炎上があり、それが大崩落してキノコ雲が立ったので、焦げ臭い匂いがマンハッタン中に拡散したことは分かる。それだけではなく、〝人間の焼ける〟(犠牲者約3000人の亡骸)臭いが含まれている強烈な異臭だったことは、彼女の話で初めて知った。
この生理的に耐え難い異臭が、NYC中に何日間も漂い続けたという。これが電光石火の如きアフガンへの空爆ということへ強く背中を押したのかな……と思っている。なにせ、「物事を決定する1割が理性で、9割が感性だ」っていうくらいだからね。
■40年を超えるユダヤ系のアメリカ人の友人がいる。名前はHM。かつてはセントラル・パーク近くのコロンバスAV.に住んでいたが、今はハドソン川を北へ遡ったコネティカット州の小さな町に住んでいる。彼はIQがすごく高く、経済学の修士を持ちながら、かつては作曲家をやっていた。そして今は画家になって全米を巡回する展覧会を定期的にやっている。
彼とたまたまアメリカとかヨーロッパの話になったときのこと。彼が言うには、
「俺はユダヤ人だ。アメリカが自分の国かと言われれば、ちょっと違う気がする。今はたまたまアメリカにいる、もしくは、たまたまアメリカ人をやっているという言い方のほうががしっくりする」
さすがにコスモポリタンってそんなものなのかって、感心した。
そしてさらに、ニューヨーク市の話になったときに、彼が、
「待て待て、NYって都市はUSAにとってそんな大きな存在ではない。俺にとってもね。明日NYが海の底へ沈んだとしても、どうってことは無いんだよ。」
おお!「メタ認知」の極意……空の高みからオノレを見ている!〝神瞰図〟っていうヤツだな。
■2001年の9/11の「アメリカ 同時多発テロ」の翌年、「グラウンド・ゼロ」を観たいという若い友人と一緒にNYCへ出向いた。〝見物に行くところなのか?〟というこちらの自問の気配を感じたのか、彼が「黙祷しに行きたいのです」というアンサーをされてはしょうがない。
「爆心地(グラウンド・ゼロ)」の周りはまだ工事現場にあるような仮設の壁で仕切られていたが、覗き窓は何箇所かあり、そこから〝鉄骨の十字架〟が見えた。組んであった鉄骨が偶然十字の形で残っていたものだ。(今でも「グラウンドゼロ・クロス」と呼ばれ、新たなに成った近くのどこかに展示されているはず。)
それに向かって黙祷を捧げた。
その日の夕刻、HMと落ち合って若き友人を交えて3人の食事のあと、ホテルのバーへ。彼の方から9/11のツインタワービルの話をしてきた。
「熱さに耐えきれずに、人が何人も降ってきたのをTVで見たか?!」
「見たよ……」
「ビルの上部が燃えているのに、構わずに駆け上がって行った消防士……それから間も無く崩落したのであの彼らは……」
と絶句した彼を見ると、目には光るものが溢れて……。
そして、消防士のヘルメットをワザワザ買ってきて、家に飾ってあるという。彼らの勇気と献身を忘れないために……だという。
つまり何かい?「アメリカ合州国」はキミの国だし、ニューヨーク市が海の底に沈むなんてとんでもない事だという結論でいいんだな?おい!
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