どうしても我慢ができないこと


「人間には、見たい、聞きたい、匂いかぎたい、舐めたい、触りたい、妄想、という六つの欲望があるけれども、これらは、百歩ゆずれば我慢できなくもない。しかし、その中でもどうしても我慢できないことは、女の子を想って切なくなってしまうことである。死にそうな爺さんでも、青二才でも、知識人と呼ばれる人でも、コンビニにたむろしている人でも、なんら違いがないように思われる。」
 
  (『徒然草』第九段──吉田兼好)

吾妻利秋さんという人の現代訳です。 原文はこうなっています。

「六塵の楽欲(げうよく)多しといへども、みな厭離しつべし。その中に、たゞ、かの惑ひのひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる」

高校の古文の授業で『徒然草』を読んだときに見えていた「無常観」とか「無為の境地」の風景はかき消すようになくなり、そこにあるのは中年男性の「煩悩」とか「葛藤」が生々しく表れていて、大いに戸惑うわけです。

 朝廷の役人(北面の武士?)であった吉田(卜部)兼好が鎌倉末期に30代で出家隠遁して、40代頃に書いたものとされるが、いずれも定説はないのです。100年ほど後の室町中期の僧・正徹がこれに発見して注目し、それを写本としてまとめてから人口に膾炙するようになったとされている。
現在でも不動の人気を誇り、『現代語訳徒然草』の出版は16冊を数える。

『徒然草』のあの有名な「序段」も吾妻利秋さんの口語訳では次のようになります。

「むらむらと発情したまま一日中、硯とにらめっこしながら、心の中を通り過ぎてゆくどうしようもないことをだらだらと書きつけているうちに、なんとなく変な気分になってしまった」

……もう、最初から奴さん心は千々に乱れています。
そして、続く「第一段」のなかでは、

「……たまたまラッキーなことが重って出世した分際で得意げな顔をして『偉くなったもんだ』と思っている人などは、他人からは、やはり『馬鹿だ』と思われている」

とブラックマンバのように毒まで吐きます。

40代の知識人であった兼好の〝いろいろと見えすぎる眼〟で捉えたものは、多面的であるため、しばしば相反する思想を散乱させ、ペシミズムなのか、ただの面倒くさがり屋なのか、それとも単に〝けしからん〟と叱言を言ってみたいだけなのか、極私的ノートであるだけに、ますます混沌するところはあります。
要は、〝大人〟の思索の極めて私的な備忘録が『徒然草』なのです。
 従って、高校の古文のテキストに掲載されているものは、そんな煩悩とか毒気を抜いたものにクリーニングしてあるはずです。エグ味とかパクチー味がないオコチャマ用です。

「ある本を本当に理解するのには、著者がそれを書いたのと同じような年齢で読むのがいい」と言った人がいます。ですから40歳を過ぎたら、『徒然草』に取り組んでみるというのは、悪くない考えだなとは思います。

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