ピカソ

━━ある日パリのカフェで、ピカソが小さなナプキンに何かをスケッチしていました。 ピカソがスケッチを終える頃、ピカソに気づいていたファンが近づいてきて、「ナプキンをもらえないか」と頼みました。 ピカソは「もちろん。20,000フランでお譲りしましょう」と言いました。 フアンは驚き、「20,000フラン!?その絵を描くのに5分しかかかってじゃないですか」 「いやいや、これを描けるようになるまで40年以上かかりましたよ」

https://www.youtube.com/watch?v=JU9oaD0e7uU

そうかな?40年も掛かってなんかいない。生まれつき上手いんだから。ピカソの絵画はNYのMoMAを皮切りに、パリの「ピカソ美術館」などでたっぷり観てきた。


バルセロナの「ピカソ美術館」も良かった。迷子になりそうな狭い路地を入った目立たないところに、その美術館はあった。それまではキュービスムのピカソしか知らなかったので、ここには新たな発見がいくつもあった。彼が幼い頃から抽象に入る以前の具象が展示されている。
多分、貴族の奥方を描いたポートレイト。ポートレイトだから具象じゃないとまずい。当たり前だが、ものすごくうまい。本当に美しい。多分実物よりもはるかに美人に描いているに違いない。その上、その肖像画の下方の三分の一ぐらいが一面に彩りの美しい花で覆われている。絵画というよりはデザインとかイラストレーションと言った方が正確かも知れない。私が女で、こんなに素敵に描かれたら、もう死んでもいい。こういう貴族のご婦人の肖像画のアルバイトでパリに上っていく軍資金を稼いでいたのだろうと思う。

彼が5歳とか7歳の頃の作品も展示されていた。木の切れ端とか布の端っこに描かれてあるものも展示されている。〝これが子供の絵か!!〟と唸るほどにうまい。ピカソ自身の才能は勿論のことだが、「この子は神童だ」「この子は将来絶対に巨匠になる」と信じ、次々と書きなぐるものすべてを大切に保管していた彼の母親の信仰にも、脱帽する。

ピカソはこのバルセロナから、パリに“上京”して世界的巨匠になっていく。

 

バルセロナを地中海沿いに北東に進むと、すぐにフランスに入り、マルセイユそしてカンヌ、ニースに到る。そのカンヌとニースの間にアンティーブという小さな城下町がある。ここは晩年のピカソが愛したところで、ここの城主の貴族がピカソに城をアトリエに提供した。 これが今ではやはり「ピカソ美術館」になっている。

このアトリエからは“蒼き海岸線”コートダジュールが一望できる贅沢さ。 ピカソは生まれ故郷のマルガに似たここをとても愛したという。 

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