LAは「ゲティ・ミュージアム」近くのゴルフ場。その日もいつもの仲間とのラウンドを終え、クラブハウスへの急な坂をカートでのろのろと登っていた。その時、前を行くアメリカ人の一人が、
「カイヨーテ!」 (Coyote!)
と叫んだ。彼が指差す方向を見ると、もう誰もプレイしていない5番ホールのフェアウエイを、中型犬のような生き物が〝フォックス・トロット〟で横切って6番ホールの方へ向かっていた。そのイヌ科の生き物のリズミカルで軽快な足並みの見事さ。
われわれ8人は夕暮れのちょっと前の斜光が芝生と木々の陰影を濃くしているなかを、その生き物の美しく軽快な躍動の〝ギャロップ〟に息を呑んで見ていた。ターフに零れている彼の長い影さえも美しかった。
その躍動はスローモーション動画のように見えていたが、実はほんの一瞬のことだったのだろう。美しい影はブッシュのなかに消えた。
「あれは野良犬でなく、コヨーテなのか?」
「コヨーテである。あんな太い尻尾の犬はいない」
とゆるぎない自信を持って彼は断言する。
「コヨーテ」という呼び名は、皆で揃って遠吠えすることが大好きなこのイヌ科の動物を、アメリカン・インディアンのナワトル族が彼らの言語で「歌う犬」と名付けたことによる。そして、この「歌う犬」はインディアンのほとんどの部族にとって「神」でもある。善と悪との二面性を持つイタズラ好きの「トリックスター」としての神である。
人類学者のポール・ラディンはアメリカインディアンのウィネバゴ族のなかで語りつがれてきている「手際のいいヤツ」と称される「道化」を収集し、その夥しい数を整理して、「トリックスター」と命名した。この〝神〟は創造者であると同時に破壊者、善であるとともに悪であるという「両義性」を備えている。
この〝引き裂かれた価値観〟は未分化状態の人類の意識を表し、人々に複眼的な価値観を持つ重要性を説く貴重なものだという。
この「道化」は、アメリカン・インディアンの全ての部族に共通していて、とりわけコヨーテとワタリガラスはそのキャスティングにあたることが多い。
さらに面白いことは、「トリックスター」というのは他の文化にも存在することだ。日本神話の「スサノオ」、中国民話の「孫悟空」、ギリシャ神話の「プロメーテウス」、ユダヤ教の「ルシファー」など……。皆が皆とも〝手際がよく〟〝いけないヤツ〟だ。大型宗教が世界を席巻してしまった現在でも、「トリックスター」が上位クラスであることは何も変わっていないように思える。
「〝いい人〟と言われよりも〝いけない人〟と言われる方が人として上位クラスっぽい……世の中の矛盾」とお嘆きの御仁、それは矛盾なんかではなく、道理で合理なのだ。
同様に、「ダメな男ほど賢い嫁を貰うの法則」がある以上、自分がちゃんとするのって、とても不合理で非効率だからね。
0コメント