たまたま、中島梓の『ベストセラーの構造』(1983年「講談社」)を読んだ。
▶︎中島梓:『小説道場』『美少年学入門』『マンガ青春記』ほか多数。この評論家・中島の小説家としてのペンネームが栗本薫である。
▶︎栗本薫:『僕らの時代』『グイン・サーガ』シリーズ『魔界水滸伝』『伊集院大介』シリーズほか多数。
そのなかで、中島は……
「じっさい大学さえ出ていながら、文字は読めるから誰からも文盲とは言われないが、文章、文脈というものをほとんど理解できない、いわば〝文章盲〟といった人々がいかに多いかは驚くべきものがあるのである」
理由は簡単であろう。圧倒的に読書量が少ないということなのだ。
中島は続けている。
「一流大学を出、外国語に堪能で、一流の企業につとめている、知能も高く〝秀才〟であるところの男が、一年間にほぼ一冊も本を読まない、などというのは、実にありふれたことなのである」
(これにはいわゆる啓発本や実用本はカウントしていないと思うが。)
……と中島が吐き捨てている。
そして、読者のかってない質の低下と読者数のかってない拡大はトレード・オフの関係にあると歯に衣を着せないのだ。
巷間言われる〝そういうロウブラウの読者が何かの拍子に年に一度だけ買う本がベストセラーになる〟という世の箴言は誠に正しいと思える。
彼らは虚構を虚構としてうけとることができない。小説を小説として読むことができない。書かれた文章を字義通りにうけとり、すべて「現実」のこととして理解する以外の方法を知らない人々で、一人称の直接話法が大好物なのだ。だから、ミリオンセラーが一つの例外もなく「ノンフィクション」的な性格を帯びているのだと中島は喝破するだ。 最近のミリオンセラー──これが揃いも揃って俳優、テレビタレント、歌手、医者、占い師などの非・小説系がほとんどだが──に当て嵌めてみても、見事にその通りなのだ。いやはや、中島梓の洞察には深くうなずくだけだ。
イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』『ホモデウス』で「認知革命」が人類を躍進させたとし、その正体を〝虚構を作り、共有し、信じる力を獲得したこと〟としている。
その観点からいえば、「虚構」が分からないということは、退化になるのじゃないか?
加えて、この文章を読み取れない、文脈がたどれない、虚構が分からないという「文書盲」って、文章上のことだけではないと思う。世の中のさまざまなことを捕捉し分析し理解する力にも通底していることだろうと深々と考える。
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