混浴

 『逝きし世の面影』(渡辺京二)という本がある。
近代に日本へ来た異邦人による文献を渉猟し、それからの日本が失ってきたものの意味を問おうというものである。
淫するばかりに、時計の針をひたすら巻き戻すのは結構気持ち悪いのだが……。


そのなかで、
「日本女性は男たちの醜さから程遠い。新鮮で色白、紅みを帯びた肌、豊かで黒い髪、愁をふくんだ黒い瞳と生き生きした顔は、もう美人のそれである」
とフランス海軍の一員として日本に来たデンマーク人は言っている。 

 ……これってね、われわれ男族が異国の地を踏んだとき、異国の女性に抱く平均的な感想だと思う。 異国の男性に興味を持ったことなどほとんどない。だが、どの異国でも、子供と女性は形容しがたいほどに愛らしいし、美しい。
「美しい女性は都市の一部分です」という化粧品のタグラインがあったが、誠にその通りだ。女性は「点景」として欠くことのできないものだと思う。


 それはともかく。 幕末来日した西洋人を仰天させ、ひいては日本人の道徳的資質さえ疑わせるにいたった習俗に、公然たる裸体と混浴の習慣がある。日本は、西洋では特殊な場所でしかみられない女の裸が、街頭で日常的に目にしうるという意味ででも「楽園」だったのである。

(混浴:下田で。『ペリル提督日本遠征記』)


「私が見聞した異教徒諸国の中では、この国が一番みだらかと思われた。体験したところから判断すると、慎みを知らないといっても過言ではない。婦人たちは胸を隠そうとはしないし、歩くたびに大腿まで覗かせる。・・・裸体の姿は男女共に街頭に見られ、世間体なぞはおかまいなしに、等しく混浴の銭湯に通っている。」(ウィリアムズ『ペリー日本遠征随行記』)

 加えて、「行水」も「混浴」と並んで来日外国人に目を剥かせた。
幕末に来日,横浜で「ジャパン・ヘラルド」をはじめ新聞事業を次々に手がけたイギリス人記者ブラックは……

「本書を書いている現在(1880年)から5年とさかのぼらない頃でも、こんな光景(注:行水)を居留地のすぐ近所で、毎晩通行人は見たし、見ている。私はこの光景を本村から山手へ通じる道の一つでも、また周りの村でも何度も見た。四方八方へ遠出をする人にとって、いわゆる『見さかいのない行水』はごくふつうにみられたので、じきになんとも思わなくなった」(ブラック『ヤング・ジャパン』)

(『ワーグマン日本素描集』)

 
これは正しく桃源郷ではないか!

そこで、思い出したのだが、小学校の修学旅行で有名な登別温泉に行った。そこには大型の屋内体育館ほども広いところに、ローマ風呂はじめ大小さまざまな浴場があり、当時は当然のように混浴であった。
そのなかを歩いていると向こうから同じ小学校の可愛くて頭のいいマドンナが2、3人と連れ立ってこちらへ来る。もちろん全裸で前を隠すでもなく……。 私は慌てふためいてすぐ近くの小さな風呂に飛びこんだ。首だけ出している私を冷たい目で一瞥して、彼女とご一行は通り過ぎた。

「行水」というのも1950年代くらいまでは、普通にあったような気がする。
板の塀の節穴を探していた記憶がぼんやりとある。  
もったいない〝逝きし世〟よ……。 

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