二艘のボート


「レトリックって要するにビジュアライゼーションだ」という言葉があり、「なるほど!」と深く感じ入ったのだが、誰の言葉だか分からず終いになっている。 村上春樹は翻訳家としての活動もあるので、その分レトリックの使い方も欧米人風のところがある。そんなビジュアライゼーションとしての好例が多く見られる。 ほんの二例だけ掲げる。

 「彼女の心が動けば、私の心もそれにつられて引っ張られます。ロープで繋がった二艘のボートのように。綱を切ろうと思っても、それを切れるだけの刃物はどこにもない。」(『女のいない男たち』「独立器官」)

※ちょっと唸った。男女の心理をこれ以上デリケートに描写する方法はないよねーって。

 「春、夏、秋、冬と僕はスパゲティーを茹でつづけた。それはまるで何かへの復讐のようでもあった。裏切った恋人から送られた古い恋文の束を暖炉の火の中に滑り込ませる孤独な女のように、僕はスパゲティを茹でつづけた。」 (『スパゲティーの一年』)

※随分と長い修辞だなっては思う。ただの不精での〝毎日スパ〟が、悲しい女の心に迫る映像になっている。

斎藤環という評論家が「メタファー(隠喩)能力を、異なった二つのイメージ間のジャンプ力と考えるなら、彼ほど遠くまでジャンプする日本の作家は存在しない」と評している。……深く肯ける。

だがしかし、レトリックの真髄が次の言葉だとしたら、もっと素敵だ。 

「人を言い負かすためだけではなく、ことばを飾るためでもなく、私たちの認識をできるだけありのままに表現するためにこそレトリックの技術は必要……」(佐藤信夫:『レトリック感覚』)

村上春樹論をちょっこし。
平易で親しみやすい文章は村上がデビュー当時から意識して行ってきたことだという。 それに関連してくるのが「文章はリズムがいちばん大事」ということ。「何しろ7年ほど朝から晩までジャズの店をやってましたからね、頭のなかにはずっとエルヴィン・ジョーンズのハイハットが鳴ってるんですよね。」
……だってさ。

 まあね、「佐渡おけさ」は鳴っていない。
 ハルキは日本そばを食わない。やはりスパゲティだ。
サントリーウイスキーも飲まん。「ジャック・ダニエル」のバーボンだ、ハルキの場合は。


 



 

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