冬が来て寒くなっていいことなど殆ど無い。そのなかでも、数少ないいいことって言えば火が焚けることくらい。
我が家の薪ストーブに昨日から火が入りはじめた。
前面のガラス越しに紅蓮と橙色の炎がめらめらと見える。この千変万化する炎を見ているのが好きだ。
なぜかよく解らないが、とりわけ男が炎を好む。冬のはじめころ、落葉焚きをヤニ下がって嬉しそうにやっているのは例外なく男だ。
一年中ずっと夏という感じのロスアンジェルスにも、ある程度以上の家には暖炉がある。一応冬と名のつく季節には夜が多少は寒い。ボクの友人はそれを待ちかねたように、ドラッグストアから薪の束を仕入れてきて、燃やす。暖炉の前にどっかと座り込み火の燃えるのをぼうーっと飽きずに見入っている。
「何にもしないでただ呆けたように火をみている。バカじゃないの?」
と彼の奥さんは怒る。でも、ボクには彼の気持ちが痛いほどに解る。同じ男だから。
家を建てる時、ストーブが居間の中央にないっていうのは御神体のない神社も同然だと言い、「団欒にはストーブが必要だ」なんてことを上ずって言い始めて、カミさんに随分と変人扱いをされた。「ここはね、北海道でも高原の宿でもないのよ」
……でも最後まで我儘を通した。
我が家にストーブを据え付けてから、10年も経ってからか……北海道の旅行で友人宅に厄介になった。10月下旬。十分に寒い。
確かにダクトのようなものから心地よい温風は出てきているがストーブは見当たらない。
「ストーブはどこだ?赤々と燃えているストーブはどこにある?」
「そんなもの相当前にない」
彼は“こっちへ来い”と家の裏に連れ出す。そこには巨大な石油タンクが鎮座していて……。そこからボイラーへ。つまりセントラルヒーティングっていうヤツだ。
「ぐふ、オレの立場はどうなる?」
「何の立場だ?」
北京原人とかアフリカの猿人が、まだ洞窟で暮らしていた頃の焚き火の跡が見つかっている。
その最初の目的は、炊事のためだったのか? 暖房のためだったのか?…どうも、両方とも違うらしい。
「彼らは火に心引かれて、ペットを持ち込むように、洞窟でそれを飼いならし、育てていたんだよ」
ってライアル・ワトソンが言っている。多分そうだと思う。山火事や噴火の小さな火を小枝に移して運んでくる。消えないように新たな枝を供給する。息をふーっと吹きかけることもしたかも知れない。それでも消えてしまい、そのことを次に活かす。それらの知性の輝きがきらきらと眩しい。
他の動物、霊長類はそれを決してできなかったのだから。
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