↑『メンフィス・ブルース』
ある人がfacebookのレスに「メランコリー」と書いてきた。それがトリガーで漱石や鷗外が好んで使ったの言葉に「暗愁」があったことを思い出した。得体の知れない悲しみのことを言うそうだ。(「陰鬱」とか「憂鬱」よりまだポジティブなのかしらん?)
五木寛之は、これを「blues」の「blue」がこれにあたると言っている。「ブルー」=「青」=「鬱 」って英語社会では普遍的なんだろうね。
ブルース・ファンなら誰でも知っている話があるそうだ。(当然、私は知らなかった。)
「ブルース」という名前がついた最初の曲を作曲したウィリアム・クリストファー・ハンディの話。
「あれは1903年のことだ。ミシシッピ州デルタ地帯のタトワイラー駅で電車を待っていると、みすぼらしい格好の黒人が現れ、ギターを爪弾き始めた。彼はナイフを弦に押し付け、ハワイアン・ギターのようなスライド奏法を使い、同じフレーズを三度繰り返して歌い、ギターを呼応させた。それは、私が今までに聴いたどんな音楽とも違っていた。」
この音楽を求めて、デルタ地帯を駆けずり回る。そして1909年、テネシー州メンフィスに移り住み、 『メンフィス・ブルース』 を作曲。楽譜として1912年に出版される。
この後続いて「セントルイス・ブルース」を大ヒットさせた。
マヘリア・ジャクソンは『ゴスペルは希望の歌だがブルーズは絶望の歌だ』って言っているけど、ま、「ブルース」は“神も仏もない”ないだし、ゴスペルは”神か仏はいる”ってことだからね。
それにしても、このメンフィスにエルビス・プレスリーが住んでいて、ちょこちょこ黒人街へブルースなどの黒人音楽を聴きに行っていたことが、後の「ザ・キング・オブ・ロックンロール」を作ったと思えば、とても興味深い偶然である。
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