【こんな話】
どんなに強がって虚勢を張ってみても、生物学的には「オス」は「メス」のために作られた。これは紛れもない真実である。最初は「メス」しかいなかったのに、その「メス」をベースにして便宜的に「オス」が作られた。
「オス」が繁殖に必要とするエネルギーは、「メス」に比べるとずっと少ない。そのため、「オス」は余ったエネルギーを使って、「メス」をサポートするようになったのである。
たとえば、「オス」は外敵と戦って「メス」を守り、「メス」が安心して子孫を残せるようにする。あるいは、「オス」同士が戦い合うのは、強い「オス」を選ぶ「メス」の手間を省いているのだ。「メス」は子孫を残すために、コストのかかる作業をすべて「オス」に任せているのである。
単独で子孫を残すことのできない「オス」は切ない。
その切ない「オス」たちのやるせないセリフの数々。
「女は存在だが、男は現象にすぎない」 (多田富雄:「免疫の意味論」 )
「昆虫のオスが昆虫の生態のなかで儚い役割でしかないように、人間においても男は多分に女より希薄にしか人生を生きられず、その意味において流れにに浮遊していく根無し草というにちかい」
(司馬遼太郎)
「女というものにはとてもかなわない。男は誰でも腹の底ではそう思っている。思っているというよりはほとんど動物的な本能からそれを感じている。男にはとても敵わないと女はいうが、それはほんの世俗的な意味でいうので、腹の底では男なんかなめているのに相違ないと男は感じているのである。尤もこういうことは未だ男を知らない女は決して解らない。男だって未だ女を知らないうちは、自分の心のうちに女性恐怖の本能があるなどということは決してわからない」
(小林秀雄:『女流作家』)
「大概の女の人は男を大いにナメている。
能書きこいて、演説して、正義とかを振りかざし、立場とか思想とかどうでもいいことに血祭りを上げ、挙げ句の果てに全く大したことを出来ない男という種族にタカを括っている」
(干場英男)
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