すべて言葉は枯れ葉一枚の意味も持たない

(アウシュビッツ=ビルケナウ収容所:第二:ビルケナウ)

【wording】

「……おばさんがひくい声で話しているのを耳にしながら、私は骨の原にたたずんだまま、言葉を失ってしまった。一度微塵に砕かれてみたいと思っていた予感は冬空のしたで完全にみたされた。すべての言葉は枯れ葉一枚の意味も持たないかのようであった。」

 開高 健:『言葉の落葉 II 』〜「〝夜と霧〟の爪跡を行く」 (冨山房)

「夜と霧」とはアラン・レネ監督のアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所のホロコーストを告発したドキュメンタリー映画のことです。世界各地で激しい衝撃と論争を巻き起こしました。日本では部分的にカットしたものを上映しました。

それを開高健は現場で克明に見てみたいと訪れたときの文章です。ポーランドの田舎に今は博物館になってあります。「負の世界遺産」ということです。
「アウシュビッツ」が第一収容場とすると、「ビルケア」は第二収容場という位置付け。
開高健は「アウシュビッツ」の見学を終えて、「ビルケア」へ。

このビルケア〝殺人工場〟で死体の焼却能力は1日2000人。だが処理に手があまり、森の中に大きな溝を作り、そこで昼となく夜となく燃やしたといいます。野焼きです。そこへ水を引き池へカモフラージュ。開高健が訪れたときにも池のままでした。そして、冬日の光で池の底が白くキラキラしている。貝殻を敷き詰めたのかと一瞬思ったが、それはすべて人骨の破片でした。足元の土を靴でほじるとすぐに骨片がいくつも出てきた。

そして冒頭のフレーズへとつながってゆく。

「言葉は枯れ葉一枚の意味も持たない」

この収容所だけで処理された犠牲者は400万人と伝えられたが、後日150万人と訂正されている。それにしても150万人という数字……。サディズムという狂気。 


開高健はオーストリアの「マウトハウゼン強制収容所」の壁に残されたという言葉は読んだのかしら?

「もし神がいるのなら、私に許しを乞わなければならぬ」

ここは犯罪者、反社会分子、政治犯が収容されていた。だから、ナチ収容所の中でも過酷な扱いを受け、ガス室もあり、焼却炉もあり、人体実験所などなど悪魔の装置が全部あった。

枯葉の欠片さえもない。
ただただ黙するのみ。 


      

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