(「ウーンデッド・ニーの虐殺」で、スー族の“ビッグ・フット”シハ・タンカ酋長の死体を眺める兵士たち)
「フロンティア」や「フロンティア精神」という言葉をほとんど100%ポジティブに捉えていたのが、あるきっかけで全くのネガティブになってしまった。
アメリカの歴史の初期は「白人入植者によるインディアンに対する征服」である。
つまり、「フロンティア」とは「国境」とか「辺境」という意味もあるが、アメリカではこの「インディアンの掃討・殲滅・虐殺の最前線」のことであり、インディアンと対峙している境界地帯を指すことを知った。
1890年サウスダコタ州でのスー族に対する「ウーンデッド・ニーの虐殺」を行い、アメリカ政府は「インディアンの掃討が完了した」として、「フロンティアの消滅」とした。「フロンティアの消滅」と前後して、アメリカ合衆国は西部への歩を進める。
この国の変わらぬコンセプトは「アメリカ合衆国国民以外にはアメリカ合衆国憲法は適用されないのだから、アメリカ合衆国はアメリカ合衆国国民以外には人権を保障しない」ということで、は先住民掃討から現在まで続いている。
このフロンティア消滅をうけて、歴史家のフレデリック・ターナーは、「アメリカ人の知性の著しい特徴は辺境(フロンティア)のお陰である」(『アメリカ史における辺境』)とアメリカ人の国民性もしくは民主主義と関連づけた。
※これはこれで興味深いものだが、機会を捉えて後ほど紹介するかもしれない。
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