LAのダウンタウンにスタジオを持っているスエーデン人のフォトグラファーを訪ねたときのこと。
大きな写真が何枚か飾ってあるのだが、濃いめの橙色がフレームいっぱいに拡がっている一枚に惹きつけられた。
「これは何?」
「カリフォルニア・ワイルド・ポピー」
「ここはどこなの?」
「ランカスター」
で、その半年後の4月中旬、車でロスから北東に向かっている。イギリス風の名前の「ランカスター」という高地に向かっている。そこにAntelope Valley California Poppy Reserveがあり、ワイルド・ポピーの群生地を保護している。
それにしても、窓の外は何もない。荒涼以外は何にもない。こんな風景のなかを2時間も走っている。まだ寒い高地の風に吹かれているように心もだんだんと冷えてくる。
登り切ったのだろうか、上高地とか蓼科高原のように、ようやくなだらかな平野の上に出た。畑なのだろうか、緑もやや増えてきた。
地図が間違ってなければ、こっちの方向だと思ったとき、うねうねと続く平野の向こうに見えてきた。
山が……燃えている! 紅葉の山は見ている。でも、紅葉は死んでいく色だ。ここの赤みがかったオレンジ色は誕生の色だ。太陽の色だ。
いままで見たことがない風景。オレンジと赤の絵の具を無造作にぶちまけたような陽気で不思議なたたずまいの小高い山…丘陵がうねうねと連なっている。
4月とはいえ、ここは十分に寒い。その強い風の中で、ほんの3,4センチほどのポピーが身を震わせて大地にしがみついている。けなげでいじらしい。
この地は冬は苛酷に寒く、夏は雨量がゼロに近く猛烈に暑い。生育のための時間は悲しいほど少ない。だから彼らはまだ冬のしっぽが残る寒さのなかで、芽を出し、素早く花をつけ、“けし粒の如く”と形容される微細な種子をこの酷薄な大地に託して、息せき切るようにわずか3ヶ月の慌しい一生を終える。
このような営みを何百万年、何千万年と繰り返し、種の存続を続けてきたことに胸が熱くなる。
その生命の一瞬の輝きをみるために、ひとびとはこの「レイヨウ谷カリフォルニア・ポピー保存センター」にやってくる。
そのセンターで一枚のポスターを求めた。もちろん、ポピーが丘一面に咲いているものだ。
プエブロ・インディアンのズーニー族の歌詞が記されている。
Cover my earth mother four times with many flowers.
<母なる大地は四季折々たくさんの花で覆う>
でも、earth motherにも手抜かりがあり、この丘陵ではたった一度だけ。
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