置かれた場所で咲かなくていい

「置かれた場所で咲きなさい」
って渡辺和子(ノートルダム清心学園理事長)というシスターが言っている。同名の本も出版されている。

悪いけど、この言葉が虫酸が走るくらいに大嫌いだ。
キリスト教の教義について全く知らないが、その教義にも反しているんじゃない?
ローマ帝国へ戦闘的に押し込んでいった「キリスト教」が、いつのまにやら、その権力の〝締め具〟になって推移して行ったのを見る思いがする。

関東武士の正体って開拓農民。自分の土地は自分で作って行かなきゃならない。その彼らが痩せて荒れた関東ローム層を耕すときの腰溜にした言葉が「一所懸命」(従って、「一生懸命」は間違い)つまり、〝一箇所にへばりついて頑張る〟というもの。もちろん、この中から殿様になったのも出た。
でもまあ、八割がたは「愚直」とシンクロする。これに「置かれた場所で咲きなさい」が瓜二つなのも気に入らない。

 

どうしても〝ここでは咲けない〟と見定めたら、場所を変えたところで咲けばいいんじゃないか。
ーこの結婚続けていくと自分がだめになるって考えたら離婚すりゃいい。
ーこの会社ダメダメだなって思ったら、転職すればいい。
ー地方でダメなら東京でやればいい。東京でダメなら地方へ行けばいい。
ーこの国に居ちゃ一生ウダツが上がらないと思った人たちが、アメリカで花を咲かせた。 

ー自分で咲く場所を見つければいい。 ……思いっきり笑顔になれる場所で咲けば、周りも笑顔にする。

友人に教えて貰った南 直哉(みなみ じきさい)という禅宗の僧がいる。福井県霊泉寺、青森県恐山菩提寺の二つを掛け持ちで住職をしているらしい。『超越と実存』で第17回小林秀雄賞を受賞。
その禅僧がずばり!とこう言っている。

「置かれた場所で咲かなくていい」

※ただ、人づてに聞くと、渡辺和子の本も「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に終始しているわけではないらしい。ならば本のタイトルに問題がある。

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