(サミュエル・ベケット:ノーベル文学賞)
この土曜日に「みなとみらい線」の「日本大通り」駅近くにあるKAAT
(神奈川芸術劇場)まで出向いて、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』を観に行った。
不条理劇としてつとに有名なこれを、気の迷いでネットで予約してしまったからという不条理ゆえに。
ベケットはアイルランドの生まれだがイタリア語とフランス語がネイティブのような言語の達人だったらしい。彼の創作活動の多くはフランスであったし、この『ゴトーを待ちながら』もフランス語で書いたもの。
ベケットが他の言語への翻訳の際生じるアレンジにとても厳しい枷を嵌めている。その所為だろう、日本語としてはいかにも生硬であった。さらに、フランス語ならでのエスプリ(毒)や隠喩が観客が賞味できたのかどうか?も気になった。
「ゴトー」(英語のGodという説もあるが、最後まで現れない。)をひたすら待ちわびる2人の浮浪者がモタモタしているところへ、奴隷に犬のように首輪をつけた奇妙な男が通りすがり、ゴタクを並べているなかに、
「世界の涙の総量は不変だ。誰か一人が泣きだすたびに、どこかで、誰かが泣きやんでいる」
と嘯くのだが、〝そうか、そういう比率は予め決められているのか……〟と信じそうになった。だって、憎悪も人種差別も迫害も殺戮も戦争も世界の各地で順繰りに起こって止まることはないよね。
KAATのなかの大スタジオというところで上演だったが、中央に円形の舞台があり、それをぐるりと囲むようにして観客席がある。これが斬新なのか、よくあるのかも演劇アマチュアの私にはよく分からない。
その四方八方から視線のあるところでの2時間休憩なしは、2人の主人公も大変だが、寄せ来る波のような不条理を次々とかいくぐらなきゃならん観客も大変だ。
私の前の席に座っていたみだらに太った女は、1時間55分は寝ていた。こいつ、5000円払って寝に来たらしい。
その太り肉(ふとりじし)は終演した後の拍手だけは熱心にしていた。
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