日本の歴史の中で最高の天才を上げよって言われれば、どうしたって空海(弘法太子)に行き着く。
空海へのアプローチのきっかけは、25年ほど前の朝の通勤電車で、前の人が読んでる本の盗み読みで、
「思想家としての空海は天才とかなんとかいうより、空海が宇宙そのものであった」(司馬遼太郎:『微光のなかの宇宙』)
というのが飛び込んできたことだった。早速『空海の風景』を求めた。
香川の人。30歳まで山伏などしていたらしいが、よくは解っていない。叔父のコネで唐への留学僧に選ばれる。都の長安に着くや否や、筆で「三筆」に数えられ、漢詩でも才能をうたわれ、長安の宮廷の人気を博す。もちろん、仏教関連の万巻の書は読み、買い漁っている。
(いつ中国語をマスターしたのだろう?山伏時代?)
もともと仏教とはインド出自のものであり、同じく密教もインドから当時の世界のセンターの長安に渡来してきていた。空海は何かに導かれるように、その密教の「青龍寺」の恵果和尚を尋ねる。恵果は「お前が来るのをずっと待っていた」といい、密教の奥義を8000人だかの門弟を差し置いて空海へ伝授することを開始。全て伝授し終わって、恵果は死ぬ。
空海は唐留学に際し、国家から20年の期間とそれに見合う資金を貰って長安に出向いてきていた。2年で滞在費がなくなったので帰るといい、帰国の途につくが、途中、寄り道をして灌漑とか土木、薬学を学んで帰国する。
帰国後、太宰府にてしばらくグズグズしているのは20年を2年に割愛したことのほとぼりを冷ますことだったのか……。
とにかく、10年後には真言密教の総本山として高野山を開き、15年後には香川の「満濃池」(灌漑用の溜め池)の改修を指揮している。
因みに、真言密教の本尊は「大日如来」……つまり「宇宙」……インド語で「ブラフマン」のことで、「釈迦」を本尊とする奈良仏教は空海にとって屁だった。(つまり釈迦と自分は同格なので、そんなもの御本尊にはできかねる。)
空海はこの入唐について、「虚しく往きて実ちて帰る」と言っている。さほどの期待もなくブラリと唐に行ったが、とても大きなものを携えて帰ってきたということだろう。つまり、舐めて行ったのだが、結局は唐の時代のニューウエイブの「文化体系」をごっそりと持ち帰ったと言っていい。
もうただただ呆気にとられる他ない。
あっという間に、中国・インド・日本における密教の最高位になったのだから、「宗教家」なんだろうが、「思想家」でもあり、「能書家」であり、一流の文人でもある。土木や薬学にも通じている。密教の怖さは「呪い」もそのメニューにある。自分の庇護者の天皇のために使ってもいる。
この空海って「スーパー高IQ無頼派」じゃないのかな?
「司馬史観」と揶揄されるぐらいに登場人物に入り込むのは司馬遼太郎の常である。だが、この『空海の風景』は〝空海のいる風景〟は描写されているが、〝空海から見た風景〟は余り描かれていないウラミは残る。
だが、博覧強記の司馬遼太郎以外で一体誰が空海に肉迫して書けるか?
司馬遼太郎に感謝したい。
※書きなぐりなので、諸所誤謬があるやもしれません。しからば、ごめん。
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