【wording】
「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」
(村上春樹:『卵と壁』~エルサレム賞受賞式典スピーチ:
2009年2月15日)
2009年イスラエルの『ハアレツ』紙が村上へ『エルサレム賞』を授与し、村上は2月15日、エルサレムで行われた授賞式に出席し記念講演を英語で行いました。
冒頭のフレーズに続いて……
「そう、壁がどんな正しかろうとも、その卵がどんな間違っていようとも、私の立ち位置は常に卵の側にあります。……どんな理由があるにせよ、もし壁の側に立って書く作家がいたとしたら、その仕事にどんな価値があるというのでしょう。……爆撃機、戦車、ロケット弾、そして白リン弾は、高い壁です。卵は、押しつぶされ、熱に焼かれ、銃で撃たれた武器を持たない市民たちです。……」
村上はこの講演の前説として、この度の来エルサレムへは「ガザ侵攻」を理由に随分の反対があったこと、そして、ここに出席することが彼の著作の不買運動へと発展しかねないと言及しています。
出席していたペレス大統領の顔が次第にこわばってきたのがわかったと、村上は後日語っています。この賞の正式名が「社会の中の個人の自由のため」だとはいえ、ここまで脇腹に短刀を突きつけるのは、1999年ころに村上が語っている「コミットメント」への志向を感じます。
「……それと、コミットメント(かかわり)ということについて最近よく考えるんです。たとえば、小説を書くときでも、コミットメントということがぼくにとってはものすごく大事になってきた。……」(『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』岩波書店)
それにしても、このスピーチの「壁」はエルサレムの『嘆きの壁』の隠喩でもあり、そのことをイスラエル政府からの圧力の“セフティガード”に使っているっている試合巧者振りなのです。
それにしてもです。自分のスピーチが「歴史」に残っていくぞと思える限られた幸福な人はいるのです。村上春樹もその一人です。だが、あの複雑な状況のなかの「火中の栗」を拾いにゆく覚悟と度胸はすばらしい。出席しているイスラエル政府高官 の前でカミソリの刃の上を歩いている。
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