【こんな話】
もちろん中島らもは知っていた。たまたま、
「自分一人で時間を潰すことができる能力を『教養』と呼ぶのである」
という彼の言葉に手引きされて、中島らもを追いかけてみた。
それはそれは、とんでもなく荒ぶる人生を送っていたことを知った。
<灘中学校から灘高校在学中にかけ、飲酒や薬物、ロックや深夜ラジオ、貸本、山田風太郎、白土三平、ギター、バンド活動(バンド名“ごねさらせ”)、万引き、スナックのバンドマン、漫画投稿……に没頭して成績が急降下。『月刊漫画ガロ』の新人マンガ賞に入賞するが、「長いのでページ数を半分にしてくれ」と言われ根が尽き、漫画家になることを諦める。授業もテストも受けずに番外で灘高校を卒業。……>
(https://ja.wikipedia.org/wiki/中島らも)
「とば口」だけでこうである。その後、コピーライティング、小説、エッセイ、戯曲、バンド、 作詞、落語の台本などなどと八面六臂であったが、双極性障害、ナレコレプシー(居眠り病)、痛飲、薬物の服用など……から逃れれないなかで、ますますの荒ぶる人生を送りながらの活動ではあった。
こうしてみれば、これはもう「教養」という名ではなく、「地頭のよさ」に加えたと“シノギ”で身につけたインサイト(知見)だと思う。
彼の最後の対談集『なれずもの』が彼の懊悩を映していると思う。「何かを目指したが、その何にもなれなかった人」もしくは端的に「カタギにもなれずヤクザにもなれず」と自虐している。
大人にならずに死ぬなんて、
つまらんじゃないか。
せめて恋人を抱いて、
もうこのまま死んでもかまわない っていうような夜があって。
天の一番高い所から この世を見おろすような 一夜があって。
死ぬなら それからでいいじゃないか。
<神戸市内で知人のライブを見た後、同市内で酒を飲み、16日未明に酔って階段から転落し、頭部を強打。意識不明のまま救急車で神戸市内の大学病院に搬送され、緊急手術を受けた。重篤な救急患者が搬送されるHCUに入り、美代子夫人らも看病を続けた。そのまま意識が戻らずに死亡。52歳。>
恋人を抱いたのか?
この世を見おろしたのか?
Rest in Peace
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