遥かなケベック

(写真①:「出口」が英語と仏語)
(写真②シャトーフロンテナック・ホテルと右手は「セント・ローレンス川」)

【こんな話】

ワシントンDCにいた頃、「そうだケベックへ行こう!」と家族4人で北へ向かった。なぜそう思ったのか今では分からない。

ニューヨーク州の北端から「セントローレンス川」で入国審査を受ける。橋を渡って異国に入るという初体験にちょっとドキドキした。
カナダに入って、すぐにモントリオール。そこからさらに東へ。ここいらからハイウエイのサインが英仏併記になる。
「モントリオール」自体もフランス語であることがわかるように、かつてはここいら一帯はフランスの植民地で、イギリスの総督が統治する「カナダ」に併呑されてからも、「ケベック」は「ケベック」として独立しようという意識がいつも底流にあり続けていた。その意識に強い磁力を帯びさせているのはフランス語だったと思う。「民族のアイデンティティを煮詰めに煮詰めたにこごりは“ことば”である」といったのは司馬遼太郎だが、ケベックの人々にとっては全くそうだ。フランス語は精神的な礎とか絆そのものでもあった。
当然のごとく、ケベック州の公用語はいまだに(多分…)フランス語である。

 いよいよケベックが近い。いつの間にかトラフィックのサインもフランス語のみ。ケベック手前で、ガソリン・スタンドのオヤジに「満タンにして」が通じずに、代わりに小学生くらいの女の子が出てきて、 May I help you? 子供は“カナダの標準語”がしゃべれる。オヤジは後ろで不機嫌な仏頂面で突っ立っている。

いよいよケベックではまったくのフランス語一本槍。でも、買い物なんて「買いたい方」と「売りたい方」のベクトルは同じ方向だから、それほどの問題はない。ランチに入ったレストランでのウエイトレスがとても流暢な英語を喋る。なぜ?って訊くと、トロントからの学生で学期の隙間を利用して「フランス語」の勉強がてらのアルバイトをしに来ていると答えた。同じ国で語学留学か……。

 後日、ある本国のフランス人と「ケベックの人たちがいかにフランス語を大切にしているか」を話しをした。そうしたら彼は……
「う~ん。でもね、彼らのフランス語ってよくわかんないのヨ。古くて、変な方言とかも混じっているし……。マア、フランス語に似た何かだネ」
とニベもなく切って捨てた。「お前さ、もっと情けのある反応ができないの?」と言いたかったけど、思うだけにしておいた。
やるせないね。 

※ある人がケベックの「シャトー」の写真を掲げてきて、記憶を揺さぶられた。

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