(写真:枡野浩一)
【分析・洞察】
1930年代、詩人のW・H・オーデンが従来の古典的なヴァース(韻文)にとらわれず、もっと自由に軽く行くのはどうだろう……と言い始めた。「ライト・ヴァース」の提唱だ。
それが日本の詩壇、次いで歌壇にも流れ込み、1987年の俵万智の『サラダ記念日』が、〝口語による短歌〟への強力なカタパルトになったと思う。彼女の文語と口語の混淆体のものは280万部の大ベストセラーとなり、結果として「口語短歌」も市民権を獲得してしまった。
もともとが俳句は俳諧の「発句」から、短歌も長歌の「反歌」を独立させて生まれたものなので、「ライト・ヴァース」が進化の方向なのかもしれない。
140ほどの短歌が挿入されている枡野浩一の青春短歌小説『ショートソング』も5万部のヒット。なかなかなもの。
その枡野が歌人・穂村弘との対談で、「僕は歌壇にいないから」とスパッと言い切り、〝自家受粉〟のような結社や同人から距離を置き、短歌も「ライト・ヴァーズ」の「口語短歌」だが、自分の身をも「ライト」に保っているように見える。
ーこんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもあるだろう
ー結婚はめでたいことだ 臨終はかなしいことだ まちがえるなよ
ーもっともなご意見ですがそのことをあなた様には言われたくない
短歌には俳句のように季語がないので、作法のようなものだった文語も取り払えば、五七調の31字以外の「決め」はなにもなくなった。それが唯一の“韻”になってしまった。
この五七調こそが、国語学者の大野晋にいわせると、南インドのタミル語(ドラヴィダ語族)から受け継がれている日本人のDNAなのかもしれないのだ。
この<五七調の31字>の「しばり」さえもなくなったとき、短歌はどこへ向かうのだろう?
(※マスノ短歌については18年09月06日ででも掲載済み)
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