LAへ赴任して半年目くらいであった。
1994年1月17日明け方。ベッドの下に大男が潜んでいて、ソイツが急に起き上がり背を突き上げて来たようだった。一瞬にして目が覚めた。震源地に近いところの友人は、寝ている体勢のママで1メートルほども突き上げられ宙を舞ったと言っていた。私の場合は精々15センチくらいだろうか……。予震も余震もなくドカン!と来てハイ!終わり。いかにも直下型の直情径行であった。
明確な目的があったわけではないが、二階の寝室に続くバルコニーに出て、まだ夜明け前のLAの街並を眺める。とりあえず、火の手は上がっていない。しかし、街中のすべての車のアラームがけたたましく鳴っている。
日本では滅多にこれを見かけないが、アメリカでは必ずと言っていいほど車には盗難除けアラームがついている。
これが地震の揺れに反応して叫び声を上げている。それだけではない。そのアラームのサイレンに呼応して街中の犬たちが遠吠えで呼応している。町中がウオーン!ウオーン!ウオオーン!キョン!キキョン!という賑やかな大合唱である。
“お国が変われば、地震の風景も変わもんだ……”
TVを点ける。サンフェルナンドバレーのノースリッジが震源地だと伝えている。娘が通っている大学がまさにノースリッジのCSUN(カリフォルニア州立大学ノースリッジ校)だった。夜が明けて、TVが伝える被害は想像よりかなり酷かった。高速道路が落ちていたり、大きなビルがペシャンコになっていたりしている。
幸いにも会社の方は小さな窓ガラスが一枚割れただけの本当に軽微な被害であった。しかし、より震源地に近いCSUNは甚大な被害を受け、校舎の倒壊などで2カ月ほど休講になってしまった。
授業を再開してから、娘がキャップを被って大学へ行くようになったので、理由を訊いた。
天井が抜け落ちたバラックのなかで、文字通り“青空教室”なのだという。雨が極端に少ない土地柄だから助かるが、南カリフォルニアの太陽はジリジリと堪える。だから授業中は先生も学生もキャップを被ってやっているんだという。
神戸出身の若くて綺麗でコケイジャンの血が入っている女性がいた。「西町インターナショナル」を出ていて英語には全く不自由はしてなかった。レストランで働いていて、お金が貯まった行きたい学校があると言っていた。
でもこの「ノースリッジ大地震」に遭い、すっかり地震恐怖症となり、神戸に飛んで逃げ帰った。だが、運命の神は彼女に再び 「阪神・淡路大震災」(1995年1月17日)という大震災を与えた。
(この一年後の同日1月17日って何の呪いだろう?)
次に彼女はニューヨークへと逃げた。
ニューヨークのマンハッタンは一個の巨大な岩盤の上にあると言われている。地震には強いはず。彼女にとって安住の地になればいいな……と思う。
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