風に揺れる花


「もしこの世の中に、風にゆれる『花』がなかったら、人の心はもっともっと、荒んでいたかもしれない。……」(中原淳一:『美しく生きる』)

そう思う。随分と彼らに癒されてきたと思っている。ヒールされただけではなくエンタテインもされてきた。

日本にloveという単語が入って来たときに、それに対応する単語が日本語にはなく、──「好く」「惚れる」「恋する」では肉親や隣人などに使えない──それで、「花を愛でる」という表現はあったので、そこから抜き出してきて、「人を愛する」という表現へ転化させたという。グッドジョブである。

さらに一歩踏み込んで魅力的なコメントが発せられている。

 「人もまた、花との共生関係を選んだ種なのです。花とミツバチのような生存的な共生関係ではなく、言うならば、文化的な共生関係を結んだのです」
 (猪子寿之:GQ 2015年2月2日号)

▼猪子 寿之は、日本の実業家。アーティスト集団チームラボ代表。四国大学特任教授。徳島県徳島市出身。東京大学工学部計数工学科卒業。大阪芸術大学アートサイエンス学科客員教授。

花や果実をつける「被子植物」は、自分の種の存続のために、他者から選ばれやすいように進化を遂げてきました。その他者というのは蜜蜂や蝶に限らず、鳥類や哺乳類も花粉や種子の運び手になっている。
人もこれに大いに参加しているのです。花が咲き、それが風に揺れ、そして散るさまに、生への賛歌と死のはかなさを感じているからだと思う。
それがあり、古来より多くの画家が花を描き、多くの詩人が花を詠っている。……「文化的共生関係」。

もちろん、植物の方も「人から愛でられる」ことにより、自分の種の存続・拡大を図ってきたのだ。

野や庭の花々が咲かなくなり、〝自走式の花〟と呼んだ人がいた蝶も中空をひらひら舞わなくなり、大空を飛ぶものは飛行機やドローンだけになり、はばたく鳥がいなくなったら、なんと味気ないことになるのだろう。
多分、その時は人類が滅亡するときだと思う。 

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