雪が舞う

 


北海道は石狩川が作った石狩平野。
随分寒くなったなと思う10月末前後のある日、米粒ほど小さくて青白い綿毛をまとった「雪虫」がそれこそウンカのように突然集団発生する。通学の自転車で速度を上げて走っていると目といわず、鼻といわず飛び込んでくる。服にも点々と綿毛がついている。その狂乱の日が過ぎて、数週間以内に本当の初雪になる。だから、「雪虫」。子供のころはコレを“雪の妖精”って信じて疑わってなかった。

 「雪虫」の本名は「トドノネオオワタムシ」だという。可憐な少女の名前を聞いて、「百々目鬼(ドドメキ)です」と妖怪の名を告げられたほどに目を剥く。「雪虫」というメルヘンな愛称と「トドノネオオワタムシ」というこのごつごつした響きの本名との絶望的な落差。

「トドノネ」は〝トドマツの根〟という意味で、この根から養分を吸って生きているアブラムシの親戚。人々が「雪虫」として見ているのはすべて処女生殖によるメスばかりで、これが雪の降る直前に羽化しヤチダモの木へと決死の飛行をする。(なぜ、ヤチダモなのだ?) ……セレンゲティの大サバンナのヌーの大群がライオンにもめげず、大河のワニにもへこたれず目的地をひたすら目指すのと同じ衝動に駆られている。
ヤチダモにやっと辿り着いたメスはここではじめてメスとオスの子虫を産む。その子虫のオスには生殖器だけはあるが、樹液を吸う口はない。飲まず食わずで、子虫のメスとの生殖を終え1週間で死んで行く。「雪虫」のオスである期間はこれだけで、このオスは“精液の注射器”としてだけの生を受け、そして果てる。子虫メスもヤチダモに卵を産みつけたら同じく死んでいく。なんとも儚く切ないものだ。

「昆虫のオスが昆虫の生態のなかで儚い役割でしかないように、人間においても男は多分に女より希薄にしか人生を生きられず、その意味において流れに浮遊していく根無し草というにちかい」(司馬遼太郎)

……と言われてしまっては、同じオスとしては深々と身につまされて、消え入るばかりだ。

 蚊のメスは猛々しくヒトの血を吸いに来るが、蚊のオスは露や樹液を吸ってひっそりと生きている。 カマキリのオスはメスとの交尾中に、そのメスに頭部をムシャムシャと食べられて、彼女の栄養になる。20%前後がそうやって果てる。

 当たり前のことだが、「雪虫」はわれわれにイリュージョンとか、ロマンチシズムを与えるために、乱舞しているのではない。自分たちのDNAの継続のためだ。いずれにしろ、世に「風物詩」とか呼ばれるものの「ナマの現実」はいつも酷薄であり、やるせない。

 石狩平野でも十勝平野でも根釧原野でも間もなく雪虫が蜚ぶ。気が狂ったように乱舞する。 それが前触れ。
すぐに本当の雪が舞う。

 


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