今年2鉢目の「カトレア」が咲きました。
“蘭の女王“と呼ばれるのに相応しく、どの花もこの花の前にはひれ伏します。
我が家には蘭が軽く50鉢はあると思います。そのなかで自分で購入したものはまったくなく、どこかから流れ着いてきたものばかりです。つまり、多くの人は蘭の育て方がよく分からずに、かといって、捨てるのは罪の意識があるので、我が家のような孤児院に託するのです。
この「カトレア」は会社に贈られて来て、花が終わり処分に困っていたものを私が引き取り、今では株分けの繰り返しで7鉢になっています。
「カトレア」は英国の園芸家ウイリアム・カトレイさんから来ています。
ブラジルのリオデジャネイロの近くの山 で 英国の博物学者がいくつかの熱帯植物が採集し、それを英国へ輸送するときの“梱包材”として後日「カトレア」という名になるこの着生蘭を使用したのです。そのいくつかがカトレイさんのところに来たのです。彼はこの変な格好の植物に興味を惹かれ、なんとか育てたら、今まで見たことがない見事に美しく大きい花を咲かせたのです。このことを多として学会から「カトレア」の名を献じられたのです。
閑話休題。
どこかで聞いた話だなって思ったら、似た話がありました。開国した日本が外国に輸出できるものなどほとんどなかったが、唯一つ「陶磁器」だけは市場競争力があった。相当の数量がヨーロッパに送られたのだが、その陶磁器のクッション材として浮世絵が大量に使われた。欧州の多くの人に“これはなんだ!”とショックを与え、それをきっかけとして北斎、歌麿が紹介され、「ジャポニスム」というムーブメントになった。その影響のなかから、クロード・モネ、ポール・ゴーギャン、ゴッホなど多数がデビューしてきた。
また、その影響もしくは刺激のなかで「アール・ヌーヴォ」や「印象派」が起き上がってきたという人は少なくない。
引き込み線からまた本線に戻り。
その後、蘭栽培熱が加熱して、膨大な数のランが南米からヨーロッパに送られました。
今では原産地のリオデジャネイロ周辺では自生の「カトレア」をもはや見つけることができないといわれています。
なんということを……。
『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリがいうように、ホモ・サピエンスは「史上最も危険な種」というのは間違いないと思います。
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