【wording】
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
(俵万智:『サラダ記念日』)
俳句は「ひねる」といい、短歌は「詠む」という。
この「詠む」には〝自分の想いをある形式にのせ言語化すること〟と、その〝他人の言語化を追体験すること〟の両サイドの意味合いがある。この「詠みづらさ」というか「面倒臭さ」をかつてSEであった歌人の穂村弘は、拡張子zipの用語である「圧縮」と「解凍」という専門用語を使って説明している。
(それにしても、穂村の歌は傲慢な「解凍」をリクエストしてくることが多く、その上「解凍には教養が必要だ」などとうそぶく。ケッ!)
俵万智の短歌にはそれがない。散文が短歌形式へ充当されている……とにかく31文字に収まっているだけだ。短歌を読み慣れてない人にも一読で意味が通じ、すぐに気持ちを共有できる。感情とか情緒の量は伝統的な形式にまったくヒケはとらない。
なのにだ。「Yahoo知恵袋」でたまたま見かけた質問。
<「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ という、俵万智さんの短歌の歌意を教えてください。 今日中にお願いします。>
質問者は多分、学生と思う。レポート提出が迫っているのだろう。
えっ?これのどこが理解に難しいんだ?!のけぞって椅子から落ちそうになった。
スルーされるんだろうなと思っていたのに、これに一所懸命答えている〝善き人〟がいる。
<自分の呼びかけに共感してくれて返事してくれる人がいる事が、温かい。心が温かくなる。それを、実際寒い日に、人のぬくもりで温められた心を歌ってるんだと思いますが。寒い中、心が温まったというのがポイントなんでしょうね。後、寒いときのほうが、いちいち人間味ある行動や心が目に付いたり、心の温かさを求めたりするじゃないですか、所謂、冬は寒いから、恋人が欲しいっていうあれはそれです。>
あたしは、すっかりどんよりしていまいました。ヤレヤレ感のぬかるみに足を取られました。
随分前だが、ネット上でこういう質問と解答があった。
Q:「横断歩道を手を上げて渡る子供がいるのですが、あれはなんのためですか?」
A:「足を上げて渡ると転んで危ないからです」
見事なものだ。アホな質問を瞬殺している。
こういうブラックなユーモアが好物です。
(完)
0コメント