子どもらと遊ぶのが好きだった良寛和尚。その彼の辞世の句だと伝えられるが、よくわからない。「禅語」であったのだと思う。
桜は咲いた瞬間から、やがて散りゆく運命を背負っている。 今まさに命が燃え尽きようとしている時、たとえ命が長らえたところで、それもまた散りゆく命に変わりはないではないか……。
それにしても、「辞世の句」ってなんだ?未練という名の煩悩のような気がする。
自由律俳句の尾崎放哉は小豆島霊場第五十八番札所の庵で41歳で没した。その辞世の句とされているものがこれ。
ーはるの山のうしろからけむりが出した
ずっと深刻な結核を患い、困窮を極め、友人知人から無心を繰り返し、隙間風のあばら家で一人ぽっち。(代表句は……「咳しても一人」が描写している)
解釈A: それでも、なんとかやっと春が来て、山の向こうでは野焼きをやっているらしい。さあ春だ。俺も生きるぞ。
解釈B:ここまで頑張ってきたけれど、あの煙はオノレを焼く煙なんだろう。死期は近い。あちらにも春はあるのかな……。
表面はAにしておいて、本当はB。未練のカゲもカタチも認められない。人生をすっからかんになるまで無駄使いしてしまった人の迫力はやはり違う。
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