ピカソが小さなナプキンに…


パリのカフェで、ピカソが小さなナプキンに何かをスケッチしていました。
スケッチを終えると、最前からピカソに気づいていたファンが近づいてきて、ナプキンをもらえないかと頼みました。
ピカソは鸚鵡返しに答えます。
「もちろん。……20,000フランでお譲りしましょう」
その男は……
 「20,000フラン?その絵を描くのに5分しかかかってじゃないですか」
ピカソは答えて、
「いやいや、これを描けるようになるまで40年以上かかりましたよ」

 
ピカソの絵は随分と観てきた。 NYのMoMA、パリのオルセー美術館、フランス南部の地中海のアンティーブ……〝コート・ダ・ジュール〟を見下ろす「アンティーブ・ピカソ美術館」で。

(バルセロナ・「ピカソ美術館」)

(ピカソ8歳の頃の絵)


そしてバルセロナの「ピカソ美術館」。
ここの展示は  キュービズムに行く前の具象画なので、われわれにも理解が容易だ。貴族の奥方の肖像画なども描いているのだが、無茶苦茶に上手い。〝このように美しく描かれては死んでもいい〟と思わすほどに華麗で豪華だ。
この美術館にはピカソの幼少期のものも丹念にコレクションされている。ピカソが5歳とか7歳の頃の木の切れ端とか布の歯切れにまで描かれているのものさえも展示されている。すでにとんでもなく上手いのだ。やはり画家だった父親はピカソの才能に絶望させられて自分は絵筆を折ったというのが分かる。一方、母親は間違いなく天才を生んだと確信し、将来は巨匠になると信じた。そのためにも、彼女は彼の描く絵を片っ端からコレクションしていったと思われる。

だが、ピカソは 具象にはついに飽きた。なぜなら、何をどう書こうが「上手い」としか言われないことが子供の頃からずっと続いている。だから、前人未到の「抽象画」の世界へと足を踏み入れたのだろうと思う。それには、己を相当に追い込んだり、失敗という苦汁を飲まされるかもしれないという緊張感も味合うことができる。天才には天才の悩みはあるんだよね。

だから、そんなナプキンへのスケッチなんぞに40年も掛かっているはずはないのだ。5歳の頃からの手慣れたものだ。
ピカソって見るからに一筋縄ではいかないおっさんだ。
そのファンの男のアプローチがあまりにも直裁だったのじゃないのかな?
……かといって、どうアプローチしたらよかったのかはよく分からない。

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