「人間は青年で完成し、
老いるに従って未完成になってゆき、
死に至って無となる」
(山田風太郎:『人間臨終図鑑』)
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そうかも知れないな……と思っていたら、こういう文章を読まされた。
武者小路実篤が90歳になる年の文章である。
「僕は人間に生まれ、いろいろの生き方をしたが、皆いろいろの生き方をし、皆てんでんにこの世を生きたものだ。自分がこの世に生きたことは、人によって実にいろいろだが、人間には実にいい人、面白い人、面白くない人がいる。人間にはいろいろな人がいる。その内には実にいい人がいる。立派に生きた人、立派に生きられない人もいた。しかし人間には立派に生きた人もいるが、中々生きられない人もいた。人間は皆、立派に生きられるだけ生きたいものと思う。この世には立派に生きた人、立派に生きられなかった人がいる。皆立派に生きてもらいたい。皆立派に生きて、この世に立派に生きられる人は、立派に生きられるだけ生きてもらいたく思う。皆人間らしく立派に生きてもらいたい。皆立派に生きて、この世に立派に生きられる人は、立派に生きられるだけ生きてもらいたく思う。皆、人間らしく立派に生きてもらいたい」
これは上野商店街のPR誌に頼まれて書いたもの。
( 月刊「うえの」1975年5月号)
かの武者小路実篤がこうである。
何回転したらまた先頭にもどる毀れたCDのようなもので、果ても当てもない。 こういう状態で、実篤は91歳で死んだ。
山田風太郎は関川夏央との対談でこの話柄を出してきて、
「 脳髄解体」と吐き捨てている。
むしろ怖い。
こういうことになってしまうのだなって。
相手の関川夏央が、こういうことに関して風太郎からの警句はないのかと
催促して、風太郎がじゃと答える。
タイトルは「別れの日」として……
─行く人、〝やれやれ〟
─送る人、〝やれやれ〟
( 『戦中派天才老人山田風太郎』)
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