尊厳死


筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者の依頼を受け、薬物を投与し殺害したとして、医師二人が逮捕された。彼らは以前より「安楽死」にたびたび言及していたということだ。

 忘れられないドキュメンタリーがあって、ときどき思い出すのだが、今回の出来事が引き金でまた思い出した。

1976年〜1977アメリカのワシントンDCにいたときに、偶然にもTVで観たもの。 大学教授で評論家の女性が自分がステージ4の癌であることを知った。医者や牧師とも相談はしたのだろう。(キリスト教では自殺は大罪で天国に行けないことになる。)
ある日時を決めて自分の子供を全員(5〜6人はいたと思う。)とその子供たちを自宅に集合をかけた。アメリカではそれぞれのチャンスを賭して、広い国土のあちこちに散らばっているので、一同に会するって「感謝祭」から「クリスマス」の間くらいしかない。全員集合というだけで、非日常。
そして、全員揃った一同の前で、自分は重篤な癌であることを告げる。ついては、自分の尊厳を保持できる死に方をしたい。尊厳死をする。そのXーdayは来る何月何日である。みんなの了承を得たい。……であるから、今日は心ゆくまでの楽しい会話と食事をしたい……と。

 「はい、そうですか。母さんがそのように決めたのなら、心ならずも賛成します」などということにはなるはずもない。その場は、一瞬にして阿鼻叫喚と慟哭の場になる。 長男は断固反対。涙ながらに「そんな大変なことを母さんが勝手に決めるなんて!」という。他の兄弟も「何か治療法があるはずだ。他の医者を当たるべきだ」「こういう薬が発見されたというのが医学雑誌に出ていた。それを試す価値があるのではないか?」などなど侃侃諤々。 彼女はそれらに全て一つ一つに非常にクリアに反駁して、どの意見をも完璧に潰していく。そして、その討議がなんと三日三晩ほど彼女の家で続いた。だが、結局、彼女が綺麗に折伏してしまった。

で、ドキュメンタリーは安楽死の当日。病院で彼女はひとりひとりの子供達に「あなたにはこういう弱点があるが、こうしたらいいわ。でもここの点はすばらしいからもっと伸ばしてね」のようなことを言っている。その嫁たちにも。そして愛する孫たちにも……。
それからひと月後くらいに、全員が号泣するなかを彼女だけは白衣で「処置室」に消えてゆく。尊厳を保持しながら……。
そして1時間ちょっと後くらいだったと思うが、待合室の全員は医者に導かれて、尊厳死を遂げてベッドに横たわっている母であり義母であり祖母であった人を見届けにいく。

最後のシーンは教会での葬式。 長男が声涙ともに下るような誄詞を捧げている。列席の全員が号泣するなかで、ドキュメンタリーが終わる。
たまたまチャンネルを適当に回している時に、目に留まって見始めたのだが、そのドキュメンタリーのあまりの深さと重さにエンドマークが流れてもソファーから身動ぎもせずに立ち上がれなかった。

アメリカでは「尊厳死」(Death With Dignity)という言葉を使い、日本では「安楽死」という。通常、「尊厳死」のための専用薬を服用した患者は、10~20分で昏睡状態に入り、4時間以内に死を迎えることが多いという。 彼女の「尊厳死」がどの州でだったのか覚えていないが、現在のアメリカでは、尊厳死は8つの州(カリフォルニア、コロラド、オレゴン、バーモント、ワシントン、ハワイ、モンタナ、メイン)とワシントンDCで認められており、約7000万人のアメリカ人、つまり、アメリカ人の約21%が尊厳死の選択権がある自治体に居住している状況になっている。 

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