マンハッタンのイースト・ヴィレッジのホームレスが、
「今日は死ぬのにもってこいの日だ」
Today is a good day to die.
というプラカードを掲げて、道ゆく人々を落ち着かなくさせたという〝都市伝説〟がある。
これはナンシー・ウッドの詩集“Many Winters”から抜き出した言葉で、邦訳版の題名は正しく『今日は死ぬのにもってこいの日だ』になっている。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
ニューメキシコ州のアルバカーキの空港で降りて、車で1時間余のドライブでサンタフェへ辿り着く。そこからさらに30分ちょっとのところに「タオス・プエブロ」がある。プエブロ族が1000年以上前から増築・補修を繰り返してきた日干し煉瓦の共同住宅を含む村落である。
「タオス・ブルー」と言われる突き抜けた青空の下にベージュ色が映える。
(タオス・プエブロ)
作家で詩人のナンシー・ウッドはサンタフェ近郊に住み着き、この「タオス・プエブロ」へ28年も通い続け、古老のインディアンに私淑して、彼らの「口承詩」を「叙情詩」として収めたものが“Many Winters”だ。
彼らの「死生観」には驚ろかされる。「死」への恐れがまったく見当たらない。この詩集のタイトルの“Many Winters”にこそ大きなヒントがある。つまり、われわれの文化での「冬」が意味するものとは異なり、彼らにとっての「冬」は「再生」と「甦り」なのだ。全ての「罪」も「悪」もリセットされる。贖罪という観念さえもない。われわれの文化のように季節も生命も直線的に始まり終わるのではなく、円環的つまり「サイクル」という認識なのだ。
だから、晴れて気持ちのいい朝にはわざわざ隣の家を訪ねて、
「今日は死ぬにはもってこいのいい日だ」
と挨拶に行くのだ。
そして、上記の11行全体のコンセプトはインディアンの言葉でたった三音節の“Ho Ka Hey!”「ホカヘイ!」で包含できるというのだ。
ニューメキシコ州から飛んでモンタナ州……日本地図でなら鹿児島から青森ほどに離れている。
1876年、フロンティア史で有名なモンタナ州リトルビッグホーン川流域で行われた「リトルビッグホーンの戦い」で、舐め切って奇襲攻撃を仕掛けたカスター率いるアメリカ陸軍をシャイアン族、スー族などの連合が逆に一人残らず殲滅──225名を全滅させた。
(リトルビッグホーンの戦い)
(クレイジーホース)
あの有名な「クレイジー・ホース」を含むインディアンの戦士たちが、バッファロー狩の要領で馬体ごと寄せて撃つ、刺す、殴る、突き落として戦い、その時の発声が「ホカヘイ!」「ホカヘイ!」なのだ。
もちろん、その意味合いは口語的にはもっと軽く、“ヘイ、ベイビー行くぜ!”とか“Do it !”なんだろうが、原語の「今日は死ぬのにもってこいの日だ」を投影した〝命知らず〟感は充満していたと思う。
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