「暗愁」という言葉がある。“得体の知れない悲しみ”を表現するらしい。平安時代の知識層・文人墨客の間で盛んに使われていたと言われていて、近代に入っても、森鴎外や夏目漱石などが小説の中で使っていた。それが現代ではすっかり「死語」になってしまっている。
その種の感情が日本には昔はあって今はなくなったということではなく、むしろ今日の方がより深刻な気がする。
この表現に代わるものが、溜息のオノマトペである「あ~あ」だけしかないとすれば、差し引きで失ったものは大きい。
日本以外に目を転じてみれば、この“大変に微妙で移ろいやすく得体の知れない”感情とか情感への“テクニカル・ターム”を用意している民族は少なくはない。
――韓国語の「恨(ハン)」。 発散できず,内にこもってしこりをなす情緒の状態。 怨恨、痛恨、悔恨、悲哀とも重なる。挫折した感受性、社会的抑圧により閉ざされ沈殿した情緒の状態がつづくかぎり、「恨」は持続する。韓国演歌の芯棒。
――中国語では悒(ゆう)。気がふさいで晴れないさま。怏怏 (おうおう)というのもあるらしい。
――ブラジル語の「サウダージ」(ポルトガル語: サウダーデ)とは、郷愁、憧憬、思慕、切なさ、などの意味合いを持つ。やはり、他の言語では一つの単語で言い表しづらい複雑なニュアンスを持っている。
「ボサノヴァ」の最初のレコードは“Chega de saudade”(思い出はもういらない)だ。邦題の「想い溢れて」は意訳が過ぎる。とにかく、サウダージはボサノヴァのバックグラウンド。
――ウエールズ語の「ヒラエス」」
帰ることができない場所、失った場所や永遠に存在しない場所への郷愁と哀切の気持ち。
――ロシア語の「タスカー」。とらえどころのない概念で文脈に応じて、さまざまに変容するらしい。時に応じて……「物憂いメランコリー」、「はっきりした理由のない悲しみ」、「苦痛」、「憧れや郷愁」などを意味する。
――ギリシャ語の「ノスタルジア」。日本語の中での使い方は「遥かな場所や過ぎ去った時を思う心の疼き」とポジティブな甘い痛みの描写になる。 しかし、原語のギリシャ語において、元来は遠国へ派遣された傭兵のホームシック的状態を指す病名であったとされています。つまり、ノスタルジア(nostalgia)というのが、「nostos(帰還)」+「algos(苦痛)」であるというのです。
五木寛之が今の時代こそ「暗愁」という言葉も状態も必要だと言っている。「鬱(うつ)」は悪いことではない。「鬱」という言葉の意味には、“草木の茂る様”、まさに“エネルギー”という意味もあるのだから、今は心が萎えている状態でも、それはじっと静かに成長する時間なのだと考えた方いいと言っている。(「丸の内慶応シティキャンパス」講演)
そして、この「暗愁」を置き換えれば、「『ブルース』の『ブルー』の部分が、これにあたるのではないか」と言っていて、……すっかり脱帽した。
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