(ひろゆき)
5月28日「川崎登戸殺傷事件」が起きた。朝からやり場のない怒りと悲しみだった。
犯人は自殺したけど、「健康保険証」を携帯していたという。まるっきりの名無しの権兵衛では死にたくなかったのかな……。
その犯人岩崎某の家は我が家から車で7〜8分以内と思う。事件後、知人に知り合いから電話があり、その彼の家は犯人の住む家と50メートルと離れていないと焦っていたという。
我が駅から小田急線に乗り、登戸で降り、南武線に行くフリをして実は地上に降りる。横切る「多摩沿線道路」を右に進むと「川崎市立多摩病院」に行く。ここの女医を何度か尋ねている。
「多摩病院」と反対方向の左にいくと事件現場の近くの「ファミマ」に行く。別の知人のアパートは窓を開ければ、その「多摩沿線道路」越しに「ファミマ」が真正面に見えるという。
当日の朝7時頃に彼は起きて、「ファミマ」に飲み物をと思いつつダラダラしている時に、異常な叫び声を耳にして、窓を開けるとカリタスの小学生たちが全力で「ファミマ」に逃げ込んでいるところだったという。なんじゃ??とTVを点けたら、そのニュースが次第に入り始めて来たと言っていた。
犯人は想像していた通り、「無敵の人」であった。ネットスラングだが、簡単に言ってしまえば、「失うものが何もない人」のこと。失うものが何もないので社会的な信用が失墜する事も恐れないし、財産も職もハナからないので失わない、犯罪を起こし一般人を巻き込むことに何の躊躇もない人々を指す。
もともとは2008年頃にひろゆきが自らのブログの中で洞察した言葉。その後の2012年の「黒子のバスケ脅迫事件」で成功した漫画の作者を妬み、執拗に脅迫を続けて犯人は逮捕。裁判所で、「作者の人生と自分のとがあまりに違いすぎることから、事件を『人生格差犯罪』と命名していた」「日本社会は『無敵の人』にどう向き合うべきかを真剣に考えるべき」と語った上で、最後に「こんなクソみたいな人生、やってられないから、とっとと死なせろっ」と叫んだ。
「川崎登戸殺傷事件」の場合は無差別殺人の挙句に、自殺しているので、「拡大自殺」という専門用語になるらしい。いずれにしたって、これを防ぐのは不可能と言っていいだろう。
「パチンコ屋というのは社会的不適合者が自然に集まってくる収容所だ」というのがあって、目鱗だった。だが、「無敵の人」に比べれば、まだ可愛いものだ。
「人生再設計第一世代」という言い方が政府筋からあって、それが「就職氷河期世代」の言い換えだと聞いて、真っ黒い感情が滾った。これほどに人をバカにしておちょくっていいのか?
そうじゃなく、今30代後半のこれらの世代で氷河に氷詰めになっている人は依然として大勢いることを直視すべきだろう?「自己責任」という暴力的言葉で片付けない。「自己責任」じゃないから、「氷河期」って言うんだよ。
そこからサポートや援助を考えるべきだろう。
セコい選挙対策の一環でふにゃふにゃの実のない言葉を使うなよ。
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